2018年02月26日

「 生きる 」ことだけ決める



「生きる」とだけ決める。

それだけで人生が展開していく事がある。






自分が最も大切だと感じていたものを失ったり、

将来にまったく希望を感じる事が出来なくなったり、

何をして良いのか解らなくなったり、

誰の人生にもそんな瞬間がある様に思う。



僕たちは普段、意識しているかどうかは別として、

何かのために、誰かのために、実現したい夢のために etc.

何か目的のために生きているのだと思う。



でもそれが無くなってしまったら...



『何のために生きているんだろう』

と感じてしまっても不思議ではないし、

『死んでしまいたい』 そう感じる事もある。



そんな風に考えてはいけない。

と自分に言い聞かせて歩き出せる時はいいが、

精神論では思い直せない時もやって来る。






僕の人生にも何度かその瞬間はあった。

今はおっさんになってしまってそう考える事は無くなったが、

若い頃は『自分が思い描いた人生にならなかったら死のう』

そう考えて生きていた。



その頃の僕が、何年も追いかけていた夢に挫折して、

何もかも捨てて地元へと戻った時がある。

周りの友人たちは、進学したり、仕事に就いたり、

それぞれの目的に向かって皆もうすでに歩き出していた。



手放した夢だけしか見て来なかった僕は、

何をしていいのか、何をするべきなのかも、

解らないまま、バイトに行って、家に帰って、

そんな毎日をただ繰り返して過ごしていた。



夢を追いかけていた頃には、

その夢の実現と、また恋をしたり、家庭を持ったり、

人生を楽しんでいる将来も想像出来た。



でもその時の僕には一切、そんな希望と、

自分の人生がつながっている様には思えなかった。

そう『思い描いていた人生』になる可能性など、

まったく無かったのである。



小説やドラマであれば、そんな僕に、

ときめく出会いがあって人生が色づき始めたり、

すごい事に出会ってそこから新しい人生が展開したり、

するのだろうが、まったくその兆しもない。



悶々とした人生の時間が数か月続いていた様な気がする。



それは何がきっかけだったかのかは覚えていない。

その時の僕が、人生や哲学についての本を、

読んでいたとも思えない。



かろうじて覚えているのは、

夕方実家の玄関の前でそう思ったのを覚えている。

出かける時なのか、帰って来た時なのかもわからない。



西日の当たる玄関先で僕は『生きよう...』そう思った。

それはまったく力強くは無かった。

『どんな人生でも、どれだけみじめでも、寂しくても、

 ただ、死ぬまでは生きよう』それだけを思った。



今考えると、動物的いや生き物的には、

ごく自然な欲求のようにも思う。



『死ぬまでは生きよう』

それはおっさんになった今の僕には『当たり前やんけ』と、

突っ込みどころが満載ではあるが、

その時の僕にとっては『ちっちゃなちっちゃな大きな決意』

だったに違いない。



稀にみる弱々しい決意だが一旦『生きる』ことを決めると、

不思議と色んな欲求が出て来てしまう。


歌を唄える様になりたいなあ・・

ギターが弾けるようになりたいなあ・・



するとバイトの帰りにギターを習いに行く。



毎日毎日やる事もなく歌を唄っていると、

少し欲が出て人前で歌って見たくなる。



暗い青年が毎週レッスンに来て一生懸命歌っていると、

優しいギターの先生はライブハウスに連れて行ってくれる。



そして今度はライブハウスにも通い始めると、

そこで将来の妻になる女性と出会い、

また新しい仕事にも巡り合う。



そこで僕の人生はハッピーエンドで終わるのではなく、

また続きがある事はここでは割愛する。が、

とにかくその時人生は劇的に展開し始めた。






人や様々なものとの”出会い”は、

人生に劇的な変化をもたらしてくれる。


でも本当は、その前に何かを”決めた”こと。

その事が色んな出会いを創造しているのかも知れない。



『死』にはふたつの意味があると言う。

ひとつは人生が文字通り終わると言う意味。

そしてもうひとつは今までの自分が死んで、

新しく生まれる『誕生』を秘めた死。



もし今、何かを見失っている”時”だとしたら、

もし今、何かを無くしてしまった”時”だとしたら、


小さな声でいい、ささやきでもいい、『生きよう』と。



 
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Posted by naoto_tanimura at 13:55